阪神・淡路大震災から20年…

暗闇に浮かび上がる1.17の灯火

関西で30代以上は、地震といえば基本この震災をいいます…。

早いものでもう20年なんですね。

神戸市が震災当時の写真をネット上で公開、無料で閲覧&ダウンロードできるサイト「1.17の記録」を開設されているようで、この写真を眺めいていると、当時の記憶がまざまざとよみがえってきます。

Screenshot of kobe117shinsai.jp

当時の私は大阪市内に住んでいて、デザインの基礎をたたき込まれた最初の印刷会社を退社してバイク便をやっていました。
激しい揺れで目は覚めましたけど、飾ってあったカップが倒れる程度の被害でしたので油断していたのですが、バイク便の詰め所に向かう途中、大阪市内の高速道路は全線通行止め、道端にもビルの窓ガラスの破片が所々に散らばっていました。
当日の配送はほぼキャンセルで、詰め所にはテレビはなかったのでラジオの情報で神戸の状況に唖然とし、大阪市内から見える煙で真っ黒になった神戸の空が、現実感の乏しい風景だったのが印象に残っています。

安全のためその後1週間ほど神戸への配送は中止されたのですが、その後はどのバイク便も毎日神戸と大阪の大回転の大忙し。なにしろ道は通れない、クルマは大渋滞、オートバイで歩道やクルマの間をすり抜けながら救援物資や復興のための資材等を運んでいました。
つぶれた住宅を眺めながら「住んでいた人はどうなったんだろう…」と想像し、ほこりっぽい崩れた街中を走りながら「ああ、これは現実なんだ」と絶望感が伴うなか、配送先の被災者の方の「ありがとう」の言葉に、逆に元気づけられて仕事する毎日でした。
このときの体験は、私のそれまで持っていた価値観や甘えを全て覆し、改めて現在の仕事につながるきっかけだったのだと、今となっては思います。

あれから20年…。
結婚して、子供も産まれ、東日本大震災も目撃しながら地元に帰ってきて、家族と一緒に築35年の木造建築に住んでいます。
とりあえず、早く耐震工事(あるいは建替え)できるようにがんばります。(なんちゅう閉めだ(笑))